インタビュー

神奈川県相模原市の藤野地区

 農を軸に地域に合った持続可能なライフスタイルをデザインしていこうというパーマカルチャーを日本で広げてきたパーマカルチャー・センター・ジャパン(PCCJ)が、20周年を迎えた。拠点を置く旧藤野町(神奈川県相模原市)では、移住してきた卒業生などの新しい住民たちが、次々と新たな取り組みを立ち上げている。

 東京の都心から中央線で約一時間。里山の豊かな自然の中で持続可能な農と暮らしを学ぶPCCJは、1996年に設立された。畑や水田、平飼いの鶏小屋などが並ぶ農場で、全国から集まった受講生が、自然を永続できる形でうまく活用するパーマカルチャーの思想や手法を学ぶ。

里山の豊かな自然に囲まれた畑で農作業の実習/撮影・Tada Yujiro

地域づくりに関心を持つ新住民が増える

 PCCJのこれまでの卒業生は1000人に上る。パーマカルチャーの手法を活かして、それぞれの地域で、地域の資源や人を掘り起こし、様々な夢を具体化している人も少なくない。6月には、全国大会を開催して、各地の取り組みを報告し、今後の活動について話し合う。

 PCCJが拠点を置く藤野は、持続可能な地域づくりという点で、とてもユニークな存在だ。

 戦時中には東京から多くの芸術家が疎開し、旧藤野町時代の30年前にはふるさと芸術村構想が打ち出されて、芸術家やクリエイターなどが移り住んだ。20年前にはPCCJができ、これまでに卒業生30人ほどが移住してきている。

 2005年には芸術をベースにしたユニークな教育で知られるシュタイナー学園も開校し、一家で移住する家族も増えた。311後のここ数年は、生活を自分たちでつくっていく大切さに目覚めた人たちが移り住み、農業や地域活動に積極的に関わっている。

 地域づくりに関心を持つ新住民が増えるにつれ、様々な試みも次々と生まれている。

鶏たちは網で覆われたチキンコリドー(後方)を通って果物の木の根元にふんをしたり、草をついばんだりする

どこも中心にならずフラットな関係

 PCCJ代表の設楽清和さんは、「うちを含めて拠点みたいなところはありますが、どこかが中心になって動いているわけではなく、非常にフラットな感じです。だからこそ、新しい発想が次々に生まれるんです。モノをつくって生きることが普通になっている藤野の特徴も、いろんなことを仕掛ける人が多い理由の一つです」と語る。

 植木屋をしながら農業に取り組むPCCJの卒業生、古瀬高宏さんも「情報やモノをシェアしようという精神の人が多く、パーマカルチャーの枠を超えてつながりができるので、とてもやりやすいですね」と、藤野の良さを語る。

ビオ市には、地元で採れた新鮮な野菜が勢ぞろいする

トランジションタウン日本での実践第一号

 パーマカルチャーの流れをくむ市民運動「トランジションタウン」は、藤野が日本での実践第一号だ。一人一人が暮らしを変えて、今あるまち全体を持続可能にしようというイギリス生まれのこの運動からも、新しい取り組みが生まれている。住民同士のサービスのやり取りを通帳に記入する形の地域通貨「萬(よろづ)」や、ミニ太陽光発電システムなどを扱う「藤野電力」、野菜や手づくりの食品を売る「ビオ市」などだ。地域通貨の事務局を務める池辺潤一さんは「手伝ってほしいことを地域通貨のメーリングリストに流すと、だいたい誰かがかなえてくれます。誰かが誰かを支えていることが可視化されることで、安心感が生まれ、つながりがどんどん広がっています」という。

 人のつながりが新しいつながりを生む、好循環が藤野にはあるようだ。

10年くらい取り組んできた人は自信を持って生きています

設楽 清和(パーマカルチャー・センター・ジャパン代表)

パーマカルチャーを実践する多くの若者を育ててきた設楽清和さん

 30年ほど前に、なんとなくカンが働いて、新潟で百姓を始めました。いなかのコミュニティーに、都会にない人の結びつき、自然との結びつきを強く感じましたが、一番驚いたのは、老人たちの知恵の深さです。それが、やさしさや人間らしさを生み出していることに気づかされたんです。私が農業を教わったのも、90歳のおばあちゃんでした。

 一方で、農薬の空中散布など、築いてきたものが壊される事態も並行して進んでいました。それを見て、自然と人間の関係、引き継がれてきた文化の大切さを感じ、アメリカで環境人類学を学びました。パーマカルチャーの価値観もほとんど同じです。パーマカルチャー・センター・ジャパンでは、文化の基礎を学んでもらっています。

 農作業をする際には、伝統的な考えを引き継ぎながら、毎日自然から投げかけられる問題に自分で解答を出していきます。その判断の正当性を与えてくれるのが文化だと思います。試行錯誤の末、あらゆることに解答を出せるようになれば、揺らぐことなく行動できます。それは、自分自身が文化になることを意味します。

 ここを卒業して、悩みながらも10年くらいあきらめずに取り組んできた人は、精神的にも物理的にもベースを築き、自信を持って生きています。いったん離れた人が、10年くらい経って、「やっぱりこれだよ」と始めることもよくあります。文化の主体として動き始めている人がいると実感することが一番うれしいですね。

中日新聞朝刊 平成28年5月26日付掲載

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