インタビュー

自然界の報道写真家  宮崎 学さん。長野県生まれ。自然と人間をテーマに社会的視点に立った写真を撮り続けている他、講演活動なども手がけている。1990年「フクロウ」で第9 回土門拳賞、1995 年「死」で日本写真協会年度賞、他に「アニマル黙示録」「森の写真動物記」など著書多数。ホームページ「宮崎学写真館 森の365 日」でも写真日記や報道ルポを連載中。

自然を観ることで 生きものの原点が見えてくる

カメラをいたずらする熊。山の中に仕掛けたカメラが、生きもののありのままの姿を捉える。

山の中に特殊なカメラを設置しては、様々な視点から写真を撮り続けておられますが、自然と人間の関わりについて感じることは何ですか

   これまでの40年間は人間が自然を自分たちの理想で観て判断し、賛美し過ぎて来た時代だと思います。食べものが腐って、動物や昆虫がそれを食べ、それがまた自然に戻る。それが地球環境のクリーニングなのですが、そういったものを汚いといって排除してしまい、本来の姿を見ないようにしてきた。人間はいつの間にか自分たちに都合のいい一律の尺度で物事を考えるようになってきてしまいました。また、時間の尺度の捉え方についても見落とされているように思います。例えば高速道路の脇に出て来るような熊は、お母さんのお腹の中にいる時から騒音に慣れてしまっているので、一般的に考えられているように鈴の音ぐらいで逃げたりはしません。世代交代がどんどん進むなかで、その時代に必要な命がどんどん供給されているからなのです。

「生態系の時間軸」に目を向けることが必要ということですね

   南アルプスは2億年もの昔に海であったところが隆起して出来ました。そこにある青い粘土層には、恐竜以前の時代から蓄積されてきたいろんな生物や微生物たちの死体から出たミネラル分が沢山詰まっています。今、山の動物たちはその泥を舐めて健康管理しているのです。幾千年もの時を経て、死が食べられるという行為で新たな命へとつながって行くのです。

「自然を観る」とはどういうことですか

   熊という漢字には能という字が入っていますが能は得体の知れない架空の動物を意味します。確かに熊は人間が家畜化できなかった、つかみどころのない、正体のわからない動物なんですよね。そういうことも含めて昔の人はよく自然を観察していました。熊が人里で観察されるようになってくると奥山が荒廃しているといわれますが、実際にその奥山に住んでみると、ものすごく自然は豊かです。松の木が枯れると、それを食べて土に戻すためにたくさんの虫たちが集まって来ますし、熊のふんを観察していると、何百種類もの餌があるということが分ります。熊は潤っているのです。ですから実際には熊の数は減ってなんていません。自然を見れば分かることなのです。

宮崎さんが生きものの写真を撮り続けている、一番の理由はなんですか

   好奇心です。生きものたちはいつどこにいるのだろう、それをどう調べようというプロセスを楽しんでいるのです。生きものがどのように暮らしているかということは全て子どものころから遊びを通じて知っています。そのころの原体験があるから、仕事のネタに尽きることはありません。

私たちが自然や生態系について理解する上で必要なことは何でしょうか

   生きものを知ることです。命あるものは必ず滅んでいくということを、生きものに接することで実際に学んでいくのです。そういうことを幼いうちに経験し、関係性を理解するということがとても大切だと思います。

中日新聞朝刊 平成21年1月10日付掲載

「宮崎学の生きものから人をみる」のコーナーでは、宮崎氏が生きものの視点を通じて発見した自然の姿を紹介していきます

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