
いろりを囲んで意見を交換する出席者ら=岐阜県中津川市の内木さんの自宅で
| 深田 | まずは内木さん、裏木曽の森と山守の仕事について紹介を。 |
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| 内木 | 加子母を含めた長野県と岐阜県の間は古くからヒノキの美林で、大木が林立していた。江戸時代に一時は過度な伐採によりはげ山になってしまったが、尾張藩が大木の山に戻した。 その方法が「六十六年一周之(いっしゅうの)仕法(しほう)」。太い木は徹底的に残し、細い木は切ってもうける。66年後には新しい木が成長して再び伐採できる。生態系を変えず、持続可能な森をつくってきた。人手を掛けずに山を管理できる技術を江戸時代に持っていたのに、明治になって、一斉に切り出してしまった。今残っているヒノキの大木の森は、国有林の700ヘクタールしかない。 |
| 1730年、庄屋だったわが家が、山守の役をもらった。仕事は、山火事防止や盗伐の取り締まり、新築の家にヒノキが使われていないかも監視した。新芽の保護やタカ狩り用のタカの巣山の管理などもやった。 山守は世襲制で、14代目は56年間もやっていた。身分は今で言えば年収100万円くらいのサラリーマン。今じゃとても食べていけない。年に260日くらいは山に入り、山中に寝泊まりしながら、米やみそは里から届けさせる、そういう生活だった。 最近、家の蔵から大量の古文書が見つかり、当時の様子が分かってきた。実は裏商売があって、名古屋からクマの皮や肝の注文があるとそれを送るという、商社のようなこともやっていたらしい。カモシカやウサギの肉をみそだるに入れて背負って名古屋に行くとか。サルの頭も乾かして送った。名古屋の人が砕いて、せんじて飲んだのだろうか。 |
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| 深田 | 先ほど、実際に加子母の森を歩いた皆さんの感想を。 |
| 内山 | 木曽地域は土壌的にもヒノキが適していて生えやすい土地だと思う。特にここは村の歴史とともにヒノキ山があって、村人の暮らしがあった、そういう場所なんだということをあらためて感じた。 |
| 堂本 | 加子母が今も脈々とヒノキの伝統を受け継いでいることは素晴らしい。ヒノキの山に入ると、においが違う。厳しい雪と寒さに耐えた美しい木目のヒノキを見ると何かほっとして、「日本人の心ここにあり」という印象を受ける。さらに家の中に入っていろりの前に来ると、ヒノキが生活の中に生きているんだ、と。ヒノキを大事にしながら生きてきた村の人の気持ちが伝わってくる。 |
| 香坂 | 加子母では若い人が森林の技術を学んだり、芸術家が住んで作品を作っている。伝統を大事にしながら、外の人が少しずつ入って来ていることは意義深い。山村が、都会では難しくなった交流の可能な空間になっている面もあるのかな、という気がした。 |
| 内木 | 昔の山には広葉樹と針葉樹が競争して生え、バランスの良い複雑な山をつくっていた。災害に強く、おいしい水が流れ、木の実がなり、動物が集まるなど、さまざまな効果があった。 今はスギやヒノキばかり。だが木を使う側が求めないと、他の木を植えることはない。例えば町の人がマイホームを建てる時に、土台はクリの木、柱には桜を使うなど、工夫をしてもらえれば山は変わってくる。築200年以上のわが家は、梁(はり)にはモミやツガ、スギ、大黒柱は松、床柱は柿と、20種類は使っている。 複雑な山は良かったが、一度はげ山にした後で木を植えた山は、一生面倒を見ないといけない。問題は、林業の生産者の収入が年々減っていること。手を入れる人がいなければ山は荒れていく。 |
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| 内山 | 森林の多様性を確保するには、人と森とのかかわりの多様性をつくっていかないといけない。昔は家一軒を造るのに多くの種類の木を使い、燃料にも利用するなど、森と人との関係性は多様だった。今は、森と人との関係が単純化し過ぎてしまった。都会の人たちの問題意識は高まっているが「見る森」の域を脱していない。暮らしや生き方と結び付いていない。 |
| 堂本 | 日本人は自然の営みを循環させることについて天才だったと言える。だが明治時代に欧米の後追いをし、(森を計画的に維持管理する)ドイツ林学的な方法で一斉に植え替えた。数百年かけて育つヒノキのことを考えると、大きな失敗だったのではないか。私たちが21世紀をどう生きるかと、加子母の森をどうつくるかは無関係ではない。人任せにせず、皆が森とのかかわりについて考える時を迎えている。 |
| 深田 | もともと「多様性」などという難しい言葉ではなく、村落共同体の中でうまくやっていた。それがどこかで変になってしまった。 |
| 内山 | 日本人がうまく自然を循環させていた理由は、大きな木を必要とする社会だったから。船や城や神社に大きな木を使い、民家にも大黒柱がいる。逆に柴(しば)刈りの柴のような極細の木、炭に使う中間の木もいる。生活形態から、さまざまな木が育てられた。 |
| 香坂 | ドイツ林学を少し弁護させてもらうと、ドイツ林学は木材を永続的に収穫できるよう、森林を壊さないことを理想としてきた。「持続可能性」という概念を初めて生み出した誇れる理論でもある。ただ現実には木の生産を重視してきた。欧州では2、30年かけて揺り戻しが起こっており、自然に近い林業に向かう動きがある。皮肉だが、昔の林業の在り方が見直され、違う方法を模索している。 |
| 内山 | 僕も含めて、ほとんどの人は、大きな木が立っている森が好きだと思う。戦後、大木を伐採して減らしてしまった反動だと思うが、大きな木のある森に気持ちが偏り過ぎている。森には大きな木も若い木も、草原もあってほしい。 群馬県の山の中で一年の半分を暮らしているが、見ていると今は森よりも草原の生き物が苦しい。例えば森に棲(す)むクマタカは、滑空しながら餌を取る。大きな羽を広げても傷つけずに降りられる草原が必要だが、河川敷くらいしかない。草原がないから餌の野ウサギも減り、実際はヘビを食べている。日本の森の最大の危機は草原がないことだ。 |