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【いろんないきものの話 五箇公一】

ムシに刺されるリスク 〜デング熱騒動にみる感染症の新たな問題〜

2014年09月08日

  つい最近、東京都内の代々木公園や新宿中央公園で蚊に刺された人の中からデング熱患者が出たというニュースが連日報道され話題になった。本来、遠い異国の地で流行している感染症が日本、しかも大都会のど真ん中に上陸したということで、日本中に衝撃が走った。

 デング熱は、ネッタイシマカやヒトスジシマカという蚊によって媒介されるウィルス病である。主たる媒介昆虫であるネッタイシマカが熱帯・亜熱帯地域を中心に生息することから、東南アジアや中南米等の南の開発途上国で流行している病気だが、もう1種の媒介蚊であるヒトスジシマカは、日本にも全国的に分布している蚊であり、感染患者、すなわちウィルスを保有した人間さえいれば、日本国内でも流行が可能な病気ということになる。

これまで、海外に渡航した日本人が感染して帰国するという「輸入感染症例」は、毎年報告されていたが、海外渡航歴のない患者の発生、すなわち国内感染症例は厚生労働省感染症法施行(1999年4月1日)後初のことであり、この国内感染の患者数は報道されているだけで70人以上にのぼり、いずれも、公園およびその周辺で蚊に刺されたことで感染したと推定されている。恐らく、国外で感染した患者がその周辺で蚊に刺されたことにより、蚊がウィルスを保有し、その蚊が他の人間を刺すことで国内感染が発生したのではないかと考えられている。

 デング熱ウィルスに対しては、現在、ワクチンが開発されておらず、発症した場合の特効薬もないが、幸い致死性は高くない。しかし、これまで国内での感染が認められなかったこの病気が都内の公園で発生したという「異常事態」に、厚生労働省も公園を封鎖して、殺虫剤による蚊の駆除を緊急に行った。その模様がテレビ等で報道されることで、多くの人が恐れ戦き、みんな公園には近づかなくなった。

 「異常事態」とは書いたが、こうした事態は専門家の間ではある程度予測されていた。グローバリゼーションが進む中、多くの日本人が国外に渡航するとともに、多くの外国人が国外から渡航して来る。日本を出入りする多くの人たちの中には国外の病原体に感染して来る人も少なからず存在し、その結果、日本国内でこれまで流行していなかった感染症が発生する可能性も高くなる。デング熱についても、実は、かなり以前から日本国内で広がっていたのではないか、とさえいわれている。

 デング熱国内感染の発見は、身近な害虫である蚊に刺されただけで病気になる!?ということで、衝撃的なニュースとして受け止められた。去年の年始早々にマダニ媒介性のSFTSウィルス感染患者が続々と報告され、ダニに刺されただけで病気になる!?というニュースが大きな話題になったことが思い出される。

 ダニや蚊みたいなちっぽけな「むし」に刺されるだけで病気になるなんて、一般的な感覚からすれば予想外のリスクに思えるのかもしれない。しかし、野生生物の研究をしている立場からすれば、「虫さされ」のリスクはむしろ軽視すべきではない、と言える。

 下に列挙するように、いわゆる「虫さされ」によって媒介される感染症には代表的なものだけでもこんなにたくさんある。

節足動物(昆虫やダニ類)媒介性感染症の代表例

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 このうち、マラリア、日本脳炎、Q熱、ダニ媒介性脳炎、日本紅斑熱、ツツガムシ病、発疹チフス、ペストなどは、日本国内でも古くから感染・発症が認められてきた感染症である。実はデング熱も「これまで国内感染事例がなかった」として話題になっているのだが、それは感染症法施行後の話であり、1940年代には神戸・大阪・広島・呉・佐世保・長崎などで約20万人に上る温帯地域最大のデング熱流行があった(国立感染症研究所HPより)。もともと日本国内にも「虫さされ」で媒介される病原体は相当数存在していたのである。

 例えば、蚊に刺されて感染する病気としてはデング熱以上に重症化の恐れがある日本脳炎が日本には古くから存在していた。現在でもウィルスを保有する蚊の発生が確認されているが、発症が抑えられているのは、ワクチンの予防接種のおかげである。

 世界中で毎年5億人近くの患者が発生している重要病害のマラリアも南方の開発途上国に特有の感染症というイメージが強いが、日本にもかつて土着マラリアが存在し、明治時代以降、昭和初期にかけて北海道や北陸地方を中心として流行していた歴史がある。それが現在、発症がゼロになったのは、インフラの整備、住居環境の改変、殺虫剤の普及等の近代化によって、マラリアおよび媒介蚊の密度が抑制されたことによる。

 下の図は、世界各国の経済発展状況とマラリア流行の関連性を解析した結果である。経済発展が進行している国ほどマラリアの発生率が低下し、発展が遅れている国ほどマラリアの流行が著しいことが良くわかる。多くの疫病の流行は、自然環境はもとより社会環境の影響を強く受ける。

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GDP金額で表した世界各国の経済発展度(上図:色が濃いところほど経済が豊かな国)と、世界におけるマラリアの発生リスクが高い地域(下図:色が濃いところほど、近年リスクが高まっている地域)。経済発展が進めばマラリアのリスクが低下する傾向があることがわかる。
Jeffrey Sachs & Pia Malaney (2002) The economic and social burden of malaria. Nature 415, 680-685.より引用

 特に、人為的環境が整備され、野生生物の世界を排除した社会で生活することが多くなった我々日本人にとって、多くの感染症は遠い世界の話になっていた。しかし、地球環境と社会情勢の変化によって、今、またその脅威が新たな形で我々の身に降り掛かろうとしている。

 里山生態系の衰退に伴い、野生生物と人間社会の境界線が崩壊し、マダニ媒介性SFTSウィルスのような感染症が自然界から侵入し、アライグマのような外来動物の繁殖が、狂犬病などの再興感染症のリスクを高めている。そしてグローバリゼーションによる人の交流が今回のデング熱のような感染症の侵入を容易にする。

 さらに、都市環境は本来定着するはずのない昆虫やダニの生息を可能とする。下水道や地下道などは冬期でも気温・水温が安定し、越冬を可能とし、緑化の促進によって、生物多様性は高まり、餌となる動物にも困らない。一方で天敵となる生物は少なく、むしろ外来節足動物には好都合な環境が整うことになる。

 日本人自身は、戦後の経済発展にともなって公衆衛生が整備されたことにより、清潔で安全な生活を手に入れた分、すっかり免疫力の低下した脆弱な身体となってしまった。野生生物や昆虫に触れる機会も減り、「虫さされ」に対する危機意識も殆どない。

 デング熱の侵入は、今後も新興感染症・再興感染症の脅威は続くであろうことを示唆する。防虫剤という「化学的防御」によって自分の身を守ることは、免疫・抵抗力がすっかり低下してしまったクリーンな身体をもつ我々がとるべき手段として必然となる。

 感染症の病原体も、その媒介生物も、すべて生物多様性の一員であり、我々人類よりも長い歴史をもつ。生物多様性は人間にとって美しいもの、可愛いものばかりでなく、人間にとって脅威となる生物もたくさん含まれる。むしろそうした生物が人間も含めた生態系のバランスを維持する役割を果たしてきた。自分たちだけが安心・安全を手に入れようとして、そのバランスを崩してきたのは人間自身である。自然共生とは聞こえはいいが、人間が求める快適な生活と生物多様性は必ずしも相容れるものではないことを知っておく必要がある。

プロフィール

五箇公一(ごか・こういち):国立環境研究所 主席研究員

1965年富山県生まれ。1988年京都大学農学部卒業、1990年京都大学大学院昆虫学専攻修士課程修了、1990年宇部興産株式会社農薬研究部、1996年京都大学博士号(論文博士)取得(農学)1996年国立環境研究所、現在に至る。主な著書に『クワガタムシが語る生物多様性』、『リスク学事典』(共著)、『ダニの生物学』(共著)、『外来種ハンドブック』(共著)、『生態学からみた野生生物の保護と法律』(共著)、『環境科学 人間と地球の調和をめざして』(共著)、『生態学入門』(共著)、『いきものがたり』(共著)など。専門はダニ学、生態学、集団遺伝学。

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