エコらむ

【いろんないきものの話 五箇公一】

マレーシア・パソ熱帯林再び

2012年12月06日

 以前に、このコラムでマレーシアのパソ熱帯林保護地域に調査に来た時の話を書いたことがあるが(2012年4月10日掲載のコラム参照)、11月に再び、この熱帯林に調査に来る機会を得た。前回訪れたのは2月の乾季だったため、あまり昆虫も見られなかったので、今回は雨期を狙って、調査に行くことにした。
 7時間ほどのフライトでマレーシア・クアラルンプールの空港に到着して、そこからレンタカーに乗って、クアラルンプールの南東約70kmに位置するパソに向かった。パソの森では1970年代から日本のみならず、欧米の研究機関も参画して、様々な学術研究が展開されており、国立環境研究所でも、植生の長期観測モニタリング事業を行ない、熱帯林のダイナミクスや多様性の維持機構、森林の炭素循環に関する研究を進めてきている。
 このたび、我々研究チームが調査に入ったのも、研究所の熱帯林研究プロジェクトの一環としてであった。我々が注目しているのは、自然林エリアと、オイル・ヤシ畑などの開発されてできた緑地エリア間で、どれだけ生物多様性に差が生じているのか、またそうした違いが炭素循環機能にどのような影響を与えているのか、という点である。
 特に、アリやシロアリ、ダニなどの土壌生物相が、炭素循環に及ぼす影響を様々な角度から評価できないであろうかと、プランを検討しているところで、何にしても、熱帯林研究はこれが初めてのことなので、まずは、昆虫類の発生状況や、土壌の呼吸量などの下調べに、今回もパソにやって来た次第である。あと、別のサイドワークとして、アジア熱帯雨林に生息する両生類が、あの両生類特有の感染症カエルツボカビ(2010年7月9日のコラム参照)を保菌しているのか、また、保菌しているとすれば、どんな遺伝子型の系統なのか、を調べることも目的のひとつであった。

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              熱帯林に入る前に、強力殺虫剤をブーツと靴下に噴霧しておく。これで山ビ
           這い上がるのを防ぐ。よく効くのだが、そのぶん人体にも影響があるの
否か・・

 到着した翌朝からさっそく入山して調査を開始。この時期は、山ビルが半端なく発生して、山道を歩く人間の呼気を嗅ぎ付けて、その足に飛びついて這い上がってくる。何も対策をしていないとあっというまにズボンの裾やシャツの隙間から入り込んで、体の皮膚に食い付かれてしまう。入山前に、入念に現地仕様のゴキブリ殺虫剤をたっぷりとシューズと靴下にスプレーしておく。この殺虫剤が日本製とは比べ物にならないくらいよく効く薬で、実際に、糞蒸した後の靴の上にわざと山ビルを乗せてみると、山ビルは悶え苦しんで、ぽろりと靴から落ちてしまった・・

 さて、準備も整え、山道を進んでいくと、前回の乾季とは違って、足下はぬかるみ、湿度が保たれ、様々な昆虫の息吹を感じることができた。美しい色をしたセミやバッタ、チョウ、トンボ、ゴキブリの仲間などが次々と観察できた。カエルもたくさん捕獲することができた。また、可愛らしいウリ坊がたくさん混じった野生イノシシの家族にも出くわした。やはり季節が違うと、生き物の活動量が全然違うと実感。
 アリやシロアリの活動もいっそう活発であった。以前にもコラムで紹介した「コウグンシロアリ」や「キノコシロアリ」も健在。あちこちでたくさんの行列がうごめいているのが観察された。さわやかな蝉の鳴き声が遠くに響くだけの静かな森の中で耳を澄ますと、シロアリたちが落ち葉をパリパリと食む音が聞こえる。彼らがこうして落ち葉を巣に運び、消費することで、有機物の分解を促進し、二酸化炭素の放出が進む。彼らの存在は、森林内の物質循環と大気組成に実に大きなインパクトを与えることになる。

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                             セミナの仲間

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                       落ち葉を噛み砕くシロアリ

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     樹冠に張り巡らされた吊り橋を渡り、木の上のアリ類を調査。高所恐怖症には堪える作業・・

 熱帯林調査に引き続き、周辺のヤシ畑やゴムの木の畑の中の生物相も調査する。当然のことながら、アリやシロアリの種組成は自然林とは大きく異なることが、一目で分かる。こうした多様性の違いが、炭素循環などの生態系機能にどのような影響を与えるのか。実際に土壌の呼吸量を比較すると自然林の林床の方が「代謝が激しい」、すなわち呼吸量が大きいという傾向が得られるという。土壌呼吸の違いは大気の組成にも影響を与え、最終的に気候変動にも結びつくと考えられる。シロアリといえども、侮れない重要な存在なのである。

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                                                 土壌呼吸を計る計測器を調整中

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                                   ヤシ畑内での調査。自然林とは景観が大きく異なる

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           山肌が削られ、ヤシ畑が造成されている。手前にはヤシの苗が大量に栽培されている。

 ところで、捕まえたカエルの方は、パソの宿泊施設に持って帰り、冷蔵庫で冷やして、一時的に「冬眠状態」に入って頂き、ごろんと寝かせて、綿棒で体表を拭ってやり、その綿棒をカエルツボカビ検査用にアルコールに浸して日本に持ち帰った。カエルの方は翌日、森に帰してやった。日本で検査した結果、今回捕獲したカエルからはカエルツボカビは検出されなかった。アジア地域での感染率は低いというこれまでの傾向はマレーシアも同じと考えられたが、ひょっとすると特異的な遺伝子型の菌がまだ潜んでいるかもしれない・・今後も調査を継続したいと思っている。

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       冷蔵庫で眠らされて、あられもない姿で身体を綿棒で拭われるカエル。綿棒から
       DNAを抽出して、カエルツボカビ菌のDNAが含まれていないかを分析する。


 さて、毎日の森林調査の後は、街のホテルでお湯のシャワーを浴びて、さっぱりとして、街のレストランに繰り出して、地元の料理を堪能する。生物多様性を語りながらも、やはり文明社会の素晴らしさからは到底抜け出せない。なにより近眼でコンタクトレンズを手放せない筆者には、なおさらのこと・・。それでも、パソの自然保護区から一歩外に出ると周囲には整然と整備されたヤシ畑のみが一面に広がっている風景を見ると、やはり生物多様性の危機を感じずにはいられない。道路に目をやると、切り出された熱帯林の丸太を積んだトラックが行き交っている。今でも、密伐採が横行しているという話も聞く。現地に住む人たちから見て、熱帯林を守ることが直接生活費を増やすことに結びつかないのであれば、それはあるだけ無駄な森に過ぎず、お金になるヤシ畑に植えかえていくのは、極当たり前の経済的な流れといえる。森を守ると言うのは簡単だが、実際には、そのためには、国益に結びつく政策が必要であり、アジア全体での維持システムが必要となる。COP10の愛知目標の達成には、まだまだ超えなければならない人間社会の都合がある。

プロフィール

五箇公一(ごか・こういち):国立環境研究所 主席研究員

1965年富山県生まれ。1988年京都大学農学部卒業、1990年京都大学大学院昆虫学専攻修士課程修了、1990年宇部興産株式会社農薬研究部、1996年京都大学博士号(論文博士)取得(農学)1996年国立環境研究所、現在に至る。主な著書に『クワガタムシが語る生物多様性』、『リスク学事典』(共著)、『ダニの生物学』(共著)、『外来種ハンドブック』(共著)、『生態学からみた野生生物の保護と法律』(共著)、『環境科学 人間と地球の調和をめざして』(共著)、『生態学入門』(共著)、『いきものがたり』(共著)など。専門はダニ学、生態学、集団遺伝学。

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