エコらむ

【いろんないきものの話 五箇公一】

赤トンボ

2011年10月10日

 暑かった夏が嘘だったかのように、急激に秋めいてきた。今年の夏は、節電が求められていたこともあり、例年になく厳しく感じた分、涼しい秋の空気は本当にホッとする。生物の世界も、季節の変わり目を迎えて、いっきに冬支度に入り始めていることであろう。

 秋を代表する昆虫と言えば、何といっても「赤トンボ」であろう。「夕焼け小焼けの赤トンボ・・・」と唱歌に唱われるほど、この昆虫は日本人にとって馴染みが深い。筆者が幼い頃は富山県に住んでいたが、秋になると学校のグランドの上を、アキアカネの大群が一方向に飛んで行く風景を今でも鮮明に覚えている。

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 真っ赤に染まったアキアカネ成虫

 で、当時は、トンボはカエルと並んで、子供たちの「動物虐待」の対象でもあった。飛んでいるトンボを捕まえて、お尻をちょん切って飛ばしたり、翅(はね)を半分に切って飛ばしたり。今から考えると、あり得ない残酷行為を、子供たち皆で無邪気に繰り返していた。

 でも、子供っていうのは、本来、結構残酷な生き物なのかも知れない。結局、さんざん残虐行為を繰り返した後、成長するに従い、何ともいえない後味の悪さを覚えて、逆に生き物というのは、いじめれば死んじゃうんだと、生命の尊さを体感するようになった気がする。そう思うと、特に都会に住む今の子供たちは、そんな残虐行為をできるほど身近に生物が存在しておらず、命の尊さを、身をもって知る機会が減っていることは、少し、気の毒にも思えるし、生物多様性の保全という観点からも、生き物の本質を理解する人が減るのではないかと、心配な部分もある。

 さて、赤トンボと言われるトンボの正式な名前は、アキアカネである。アキアカネは、水田が主要な繁殖場所であり、卵は水田の底の泥の中で越冬している。春になって、田植えの時期になると、水を張った水田の中で卵がかえり、ヤゴと呼ばれる幼虫になる。ヤゴは、水田中のプランクトンや小さな昆虫などを補食し、成長していく。そして初夏になると、稲によじ上って、脱皮して、翅の生えた成虫となる。成虫は近くの雑木林などへ移動して、そこで群れを作る。雑木林の中で餌となる昆虫をたっぷり食べて、約1週間過ごした後、群れをなして標高の高い山岳地帯へと大移動する。

 アキアカネは、もともと冷温帯に適応した昆虫らしく、夏の高温が苦手で、そのため、このような長距離大移動を行うと考えられている。夏の間は涼しい高山域で過ごし、ここでもたっぷりと餌を食べて、生殖器官が発達した「大人のトンボ」へと成長していく。羽化したばかりのアキアカネは、薄いオレンジ色をしているが、十分に成熟した成虫は、真っ赤に体色が変化する。こうして正真正銘の「赤トンボ」となる。

 成熟した赤トンボは、夏が終わって、秋になると、再び群れをなして山を下り、水田がある平地へと移動する。そして、オスは意中のメスを見つけて、尻尾の先でメスの首根っこをがっちりつかんで、タンデム飛行を行う。オスとメスは繋がったまま、稲刈りが終わった水田の水たまりを見つけて、その近くで交尾をする。このときオスのお尻の根元に貯精嚢(ちょせいのう)があって、メスはそこにお尻の先にある生殖器を接合して精子嚢をオスから受け取る。この時の姿が、ちょうどハート形をかたどることから、よく愛のモチーフとしてその映像が取り上げられることがある。

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    アキアカネの交尾シーン(上側がオス)

 交尾が終わったあと、再びタンデム飛行して水たまりの上に行き、メスがお尻の先で水面を繰り返し叩きながら、水中に産卵する。交尾が終わった後も、オスがメスを手放さない理由は、トンボという昆虫はオス間の「精子競争」が激しく、交尾済みのメスでも新しいオスが連結すると、その新しいオスは、メスの体内にある「前夫」の精子をかきだして、自分の精子に置き換えるという、結構、人間目線ではえぐい行動をとる。つまり、オスは、メスに与えた自分の精子を守るためには、交尾が終わった後もメスをしっかり確保して、他のオスが寄って来ないよう見張っていなくてはならないのである。これを生物学用語で交尾後ガードと言う(以前に、ハダニの「交尾前ガード」の話は書いた)。

 こうして、産卵を果たした成虫は、やがて秋の終わりとともに、その命を閉じる。産みつけられた卵は湿った泥の中で、春が来るまで休眠して過ごす。これがアキアカネの一生である。秋になると大群で赤トンボが見られるのは、こうした生活史によるものだったのである。

 最近は、赤トンボの大群を見ることも難しくなってきた。その生活史をみても分かるように、赤トンボが一生を過ごすためには、水田と雑木林と高山という景観のセットが必要となる。いわば、昔から日本に存在していた「里山」といわれる風景である。現代に入って、水田の構造改善や雑木林の放棄・開発などで、赤トンボの生息場所は著しく悪化している。やがて、このトンボも絶滅が心配される生物になってしまうのかもしれない。そうなると、昔に赤トンボに虐待行為をしていた自分は、えらく罪深い人間ということになってしまう。 

プロフィール

五箇公一(ごか・こういち):国立環境研究所 主席研究員

1965年富山県生まれ。1988年京都大学農学部卒業、1990年京都大学大学院昆虫学専攻修士課程修了、1990年宇部興産株式会社農薬研究部、1996年京都大学博士号(論文博士)取得(農学)1996年国立環境研究所、現在に至る。主な著書に『クワガタムシが語る生物多様性』、『リスク学事典』(共著)、『ダニの生物学』(共著)、『外来種ハンドブック』(共著)、『生態学からみた野生生物の保護と法律』(共著)、『環境科学 人間と地球の調和をめざして』(共著)、『生態学入門』(共著)、『いきものがたり』(共著)など。専門はダニ学、生態学、集団遺伝学。

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