エコらむ

【いろんないきものの話 五箇公一】

大震災と生物多様性

2011年08月09日

  2011年3月11日、東北地方を未曾有の大地震が襲った。この大地震とそれに伴う大津波によって、東北沿岸地域の風景は一変した。さらに福島原子力発電所の損壊により、放射性物質の長期的な漏出という事故まで被害に追い打ちをかけた。人間の社会環境だけではなく、自然生態にも大きな異変が引き起こされていると考えられる。

 このコラムでも、大震災が生物多様性にもたらした影響について書いてほしいという要望をいただいた。恐らく、このコラムの読者の方々の多くも、生物の世界では何が起こっているのか、関心を持っておられると思う。しかし、大変残念ながら、筆者自身は地震や津波の専門家でもなければ、放射線生物学の専門家でもない。筆者自身が勤める研究所も地震による被害を受け、資金面も含めて研究が大きく滞る事態も起きて、未だ現地に足を踏み入れることもないまま今日を迎えており、とても生物学的な影響を語れる立場にはない。

 ただ、一生態学者としてあの大震災はやはり大きな衝撃だった。一瞬にして数万という人命が失われ、何十万ものひとの生活の場が奪われ、人間社会の基盤である「安心・安全」が完全に喪失してしまった。この事態に、生態学という研究分野は実に無力であり、ひと一人の命を救うこともできない。筆者の専門とする外来種問題も、この「大異変」のまえでは、議論することすら意味があるのか。いろんな意味で自分の無力さを思い知らされた瞬間でもあった。 

 地震発生から半年近くが経過し、自分の職場もようやく落ち着き、仕事が動き始めるようになって、少し、大震災と生物多様性に思いを巡らすことができるようになったので、遅ればせながら、このテーマで今回コラムを書くことにした。ただし、これから記すことは、個人的な「雑感」の域は出ず、科学的な議論といえる代物でもなく、また筆者自身がそうしたことを書ける立場には(今は、まだ)ないことを予めご了承いただければと思う。まずは、今も避難生活を強いられている多くの被災者の方々にお見舞いを申し上げるとともに、多くの大切な命が奪われたことに哀悼の意を表したい。

 地震や津波は、言ってみれば天変地異である。こうした天変地異は生物進化の歴史の中で幾度となく発生し、その都度、生物の世界にも異変をもたらしてきた。特に、自然環境変化に伴って、全球的に生物が絶滅するという「大絶滅」は、過去に少なくとも5回は生じていると考えられている。その原因は地殻変動によって火山が噴火したり、地形が変化したりすることによって地球規模の気候変動が生じたことによる。

 一番有名なのは、白亜紀後期に起こった大絶滅。今から約6,500万年前に隕石が地球に衝突して引き起こされた天変地異によって、それまで1億年以上にもわたって地球上の生態系を支配してきた恐竜たちが一斉に滅んでしまった。衝突によって生じた粉塵が地球の大気に覆いかぶさり、地球の気候を一変させ、それまでの生物多様性を塗り替えた。また衝突直後には想像を絶する大地震と大津波が発生し、多くの地表生物を一掃させたと考えられている。

 恐竜の絶滅とともに、それまで姿を隠してひっそりと生きていた哺乳類が、生態系に進出することができるようになり、進化によって哺乳類の多様性が花開き、我々、人類も誕生した。自然災害は、太古より、生物の急速な絶滅と進化をもたらし、新しい生物多様性を創成する駆動力として存在した。38億年ともいわれる生物の歴史は、生物誕生以来、一度も途絶えることなく、天変地異をも生まれ変わりのチャンスとして、累々と進化を積み重ねて今日に至った。

 その意味では、今回の大震災も、生物進化の歴史においては、過去より繰り返されてきた天変地異の新しい1ページに過ぎず、多くの生物が壊滅的な被害を被ったとしても、生物自身の移動や進化によって、再びもとの生態系が復元されるか、あるいは新しい生態系が創出されるか、いずれかへと変遷していくことになるのであろう。

 ただ、そうした古い時代の自然災害と異なり、現時代で問題となるのは、大地震による自然の変化に、人間生活が介在している、という点であろう。例えば大津波によって多くの建造物が損壊し、自動車等の人工物も押し流され、大量の瓦礫と有害物質が沿岸地域に堆積してしまったが、こうした人工物質は、「汚染廃棄物」として自然生態系の回復力の大きな障害となる可能性がある。

 沿岸の魚類や周辺地域の動物たちも津波の被害に遭い、陸上に打ち寄せられた有機物が腐敗し、ハエ等の衛生害虫の大発生をもたらしていることも問題となっているが、人間社会がそこに存在しなければ、ハエたちは腐食者(スカベンジャー)として機能し、堆積した有機物の分解を助けて、自然生態系の遷移を加速する貴重な存在となる。しかし、住民の健康問題を考えれば、そのような自然遷移を悠長に待つわけにはいかず、堆積した有機物の処理とハエの駆除を人為的に進めなくてはならなくなる。

 被害を受けた里山地域では、サルやシカ、クマなど野生動物も住処や餌を失い、勢力が弱くなった人間社会に進出してくる可能性もある。復興を急ぐためには、自然環境をあえて改変していく必要もあるであろうし、緑化植物等、外来種の意図的な導入や、あるいは物資に随伴して外来種が侵入してくるケースも増えるかもしれない。様々な形で、人間と生物の間の折り合いがつけにくい状況が生じてくると予想される。

 もともと、人間活動による生物の絶滅が問題とされるのも、強大な人工エネルギーによって、自然に対して自然本来の遷移とは異なる改変をもたらしていることに原因がある。自然災害による生物相の変化は、生物の自律的移動と環境適応という自然のルールに従って進む。しかし、人間は生物でありながら、自らが住みやすいようにのみ環境を改変し、他の生物を排除してでも、その勢力を拡大しようとする。そして、人間は自らが自然環境を犠牲にして作り出した「安心で安全」な社会環境でのみ生きていける「特殊な生物」と化してしまった。少なくとも日本という先進国社会では、そうなっていると言って過言ではない。

 しかし、実際には、そうした「安心で安全」と思い込んで作られてきた人間社会は、自然災害の威力には実に無力でもろく、簡単に崩壊してしまう。そしてそのとき、人間という生物も実にもろくて無力な存在となってしまう。生物多様性すらも、このときには、人間にとって脅威となる。

 さらに、今回の大震災で、人間社会はおろか、自然生態系ですら遭遇したことのない異変が生じた。原発事故である。これもまた、人間活動が作り出した強大なエネルギー源のひとつであるが、これまでのエネルギー生産とは異なり、一度暴走を始めると、人間の手でも止めることができない、すなわち、コントローラビリティ(管理の可能性)が100%は確保できない「エネルギー生産技術」であった。

 とめどなく放出が続く放射性物質が、自然環境と生態系に与える影響がどういうものなのかは、知識が浅い筆者には想像もつかない。テレビや雑誌を見ていても、結局のところ、リスクやハザードを予測するだけの基礎情報が不足しているらしいことしか分からない。逆に言えば、リスク評価が十分にされないまま、この技術は押し進められてきたという現実に驚かされる。

 しかし、一方で、自分も含めてすべての日本人が何不自由なく電気を使った生活を送れるという、ハイレベルなエネルギー消費社会の恩恵を受けてきたのは事実であり、そんな社会を支えてきた技術として原子力エネルギーが存在し、その技術のリスクを一部の地域に「託してきた」のも事実である。この事実はすべての日本人が重く受け止めなければならない。そして地域・地方の隔てなく、すべての日本人が、その被害の苦しみを分かち合う必要があるのではないだろうか?この大震災と原発事故で「被害地域が阻害される」ようなことだけは、決してあってはならないと思う。

 その意味で、今回の大震災では、人間という生物の奇異なるも素晴らしい一面を見ることができたのも、また事実であろう。ミツバチやライオン等、人間同様に社会生活を営む生物はたくさん存在するが、いずれも究極的には、自分の遺伝子をもつ子孫や兄弟姉妹、すなわち血縁者を守り、自分の遺伝子がより多く生き残れるようにするために社会性を維持している。

 しかし、人間は違う。血も遺伝子もつながっていない赤の他人であっても、危機に陥っている人がいれば、命がけで助けようとする。これは生物学的には、極めて特異的な「利他行動」であり、人間だけがみせる「人間性=ヒューマニティ」である。このヒューマニティに多くの人が感動し、さらなる救援・支援の輪が広がる。被災地で展開される救援活動・復興活動にそんな人間の素晴らしさを感じた人は多いはずである。

 一方で、一向に被災地支援の政策を打ち出せぬまま、混迷を続けている政権に苛立ちを覚えている人も多いことであろう。中央政権がダメな今こそ、保全生態学でいうところのメタ集団のように、地方同士が支え合って、被災地を復興する道が開けることを期待したい。それこそ生態学者が口をはさめることではないが、地域の活性化と連携が求められるときだと強く感じる。

 ずいぶんと生物多様性からかけ離れた話に流れてしまったが、今個人で考えることを書き連ねてみた。先にも書いたが、人間は生物にとって脅威的な存在となったが、生物の世界では「当たり前」の自然災害には、実にもろい存在ともなった。自然や生物との付き合い方についても新しいパラダイムを考えなくてはならない時なのかもしれない。とにかく今は、生態学者としてやるべき仕事に全力で取り組まなくてはならないと考え、研究を続けている。

プロフィール

五箇公一(ごか・こういち):国立環境研究所 主席研究員

1965年富山県生まれ。1988年京都大学農学部卒業、1990年京都大学大学院昆虫学専攻修士課程修了、1990年宇部興産株式会社農薬研究部、1996年京都大学博士号(論文博士)取得(農学)1996年国立環境研究所、現在に至る。主な著書に『クワガタムシが語る生物多様性』、『リスク学事典』(共著)、『ダニの生物学』(共著)、『外来種ハンドブック』(共著)、『生態学からみた野生生物の保護と法律』(共著)、『環境科学 人間と地球の調和をめざして』(共著)、『生態学入門』(共著)、『いきものがたり』(共著)など。専門はダニ学、生態学、集団遺伝学。

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