エコらむ

【いろんないきものの話 五箇公一】

外国からやって来たミジンコ

2011年03月05日

   筆者は、現在の勤め先である国立環境研究所に就職する前は、民間企業の農薬研究部門でサラリーマンとして働いていたことは前にも紹介したと思う。環境と生物を守る仕事とはある意味180度方向が違う、虫をやっつけるための仕事を一生懸命していたことになる。

    もっとも、農薬を十把一絡げに「悪者」にすることは、今の人間生活、特に日本人の生活を考えた場合、簡単に頷ける話ではないと個人的には感じている。農薬を恐いと思う人は多いとは思うが、天然のものであれ、人間が石油化学でつくりだしたものであれ、どんな化学物質にも大なり小なりの有害性がある。問題はその使用量や摂取量によって、その有害性が人間にとって、あるいは生物にとって、影響を及ぼし得るか否かが決まるという点である。今回は少し、農薬の安全性に関係するミジンコというプランクトンの話をしてみようと思う。

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オオミジンコ(写真提供:小神野豊)

 農薬とは、農作物に有害な昆虫(害虫)や菌(病原菌)を減らすための薬である。害虫や菌という生物に影響する薬なのだから、当然、害虫や病原菌以外の生物にだって影響する可能性は高い。最近では病害虫にだけよく効く薬も開発されるようになってきた。誰だって、できることなら、そういう病害虫以外の生物には害の少ない薬、つまり安全性の高い薬を選びたい。また、そういう薬が好んで使われるようになれば、製薬会社も利益を得るために、より安全性の高い薬の開発に力を入れるようになるであろう。

 では、どうやって農薬の安全性を確かめるのか?人間そのものに対する安全性は同じ哺乳類のマウスやラットで確かめられる。これは基本的には医薬も農薬も同じである。人間以外の野生生物に対する影響はどう評価するのか?なんせ、この地球上には、4,000万を超える生物種が存在するとまで言われている。これだけ膨大な数の様々な生物種に対する農薬の影響をひとつひとつ試験して確かめていては、100万年たっても新しい薬を開発することはできないであろう。そこで、現在、世界では、ある代表的な水生生物を、野生生物の代表選手とみなして、この代表生物に対する農薬の影響を調べて、野生生物に対する有害性を「推測」するという方法がとられている。

 その「生物の代表選手」として選ばれているのが、藻類とよばれる植物プランクトン、ミジンコという動物プランクトン、そして日本を代表する小魚のメダカ。この3種の水生生物が、農薬の有害性を試験するための標準的な生物と認定されている。ここで認定と書いたが、では、いったい誰がそんなこと決めたのか?これは偉い生物学者が独りで勝手に決めたことではなく(もちろん筆者がここに勝手に書いているわけでもなく)、世界中の国々から集まった政府関係者や研究者の会議の結果として決まっているのである。その会議とはOECD、日本語で「経済協力開発機構」とよばれる国際機関が開催するものである。

 OECDとは何か?皆さんもなんとなく「政治経済」の授業で聴いた覚えがあるのではないだろうか?この組織は、ヨーロッパ、北米、日本等の経済先進国で構成されており、世界の経済成長や貿易について協議する場となっている。実は、農薬を含む合成化学物質の国際的な流通についてもこの機関で話し合われており、自由貿易主義のもと、化学物質製品のスムースな取引を確保するために、その安全性評価についても、世界統一の規格を設けることがこの機関の目標の一つとなっている。その理由は、世界の国々が、てんでバラバラの方法で毒性試験をして、独自の基準で化学物質の安全性評価をしてしまうと、他の国に化学物質を売ろうとしても、安全性の基準が違うことを理由に、試験のやり直しが求められたり、輸入が止められたりして、自由な貿易が出来なくなるからである。試験方法と安全性評価の基準を統一しておけば、どの国で試験しても、安全性データをそのまま流用することができるので、化学物質の輸出入がスムースに進むこととなる。

 農薬の安全性評価に関するOECDの基準というのが、藻類、ミジンコ、メダカで農薬の安全性試験を実施するというものである。この3種に対して影響が低い薬であれば、環境中に流出しても、他の生物たちに対して安全性が高い薬とみなしていいであろう、というのがOECDで決められている「理屈」である。ここまで読んで、まず多くの読者が、なぜ、この3種が選ばれたのか、疑問に思われるであろう。まず、藻類=植物プランクトンは生態系の中の生産者である植物の代表として選ばれ、ミジンコは藻類を食べるので、草食動物の代表として選ばれ、メダカはミジンコを食べるので肉食動物の代表として選ばれている。つまり生態系における食物連鎖を代表する種として選ばれているのだ。なおかつ飼育がしやすく、場所もとらない、ということからも試験生物として最適とされる。というわけで、この3種が「スタンダード生物」として世界中で農薬の安全性試験に利用されているのである。

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農薬の試験に使われる藻類(写真提供:小神野豊)

 え、でも、たった3種でいいの?と思う人も多いであろう。先にも書いた通り、膨大な生物種からこの地球上の生態系は成り立っている。たったこれっぽっちの生物種の試験で、農薬が安全か否かを決めてしまうのはどうなんだろうと、生物学者じゃなくても考えるに違いない。せめて100種ぐらい試験した方がいいのではないか、と思ってしまうが、OECDではそんなことは論外となる。なぜなら、製薬会社に対してそんなにたくさんの試験を要求したら、試験費用だけでも膨大になり、製薬会社はあっという間に倒産してしまうことになるからである。つまり、安全性と経済性の両方を考えて、ギリギリ、この3種の生物試験を最低限の要件としているのである。 

 

 それどころか、OECDでは、各国が出してくる試験データを簡単に比較、あるいは転用できるように、試験生物そのものも可能な限り「同じ系統」のものを使おう、ということで、藻類ならPseudokirchneriella subcapitataという学名をもつ種、ミジンコならオオミジンコ、そして魚類はメダカと、特定の種を使うことを加盟国に推奨している。ここで今回、特に注目して頂きたいのがオオミジンコである。このミジンコは普通のミジンコにくらべて、10倍近く大きい種で生体になると5ミリメートル近くになり、栄養状態がいいと赤みがかっていて、ビーカーの中でも泳いでいる状態が肉眼ではっきりと見ることができる。最近、熱帯魚屋さんとかでもペット用に売られていることがあるので、一度機会があったら見てみて欲しい。 

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メダカ(写真提供:小神野豊)

 OECDが指定してきているので、日本でも農薬の安全性試験は、このオオミジンコを用いて実施されている。ところが、実はこのオオミジンコ、日本には生息していない、アメリカ原産のプランクトンなのである。つまり外来種。そう考えると、生物学的な疑問がわく。日本には日本のミジンコが生息している。なのになぜアメリカ産の外来種を使うのか。そもそもアメリカのミジンコで試験して、日本の生物の安全性を評価できるのか?とりあえず、OECDの説明では、ミジンコなどのプランクトンの様々な種の間での薬剤の感受性の差は、濃度にして10倍程度の範囲内に収まるので、オオミジンコで試験して、危ないとされる濃度が出れば、その濃度に10分の1をかけて出た数値であるなら、概ねどのプランクトンも死なないであろう、さらに拡大解釈すれば、どの甲殻類も大丈夫であろう、と判断できるというのである。

 殺虫剤を開発してきた身としては、この説明は正直合点がいかない。最初に書いたように最近は、害虫にしか効かない薬や、あるいは、害虫の中でも特定の種にしか効かない薬も開発されている。これって、同じ昆虫の間でも種によって感受性が大きく異なることを示している。ということは当然、おなじミジンコでも、日本のミジンコとアメリカのオオミジンコでは薬の効き方が全然違う場合だってあるはずで、その感受性差は10倍くらいでは済まないであろう。

 で、実際に、アメリカ産オオミジンコで試験して安全とされる農薬を使って、オオミジンコが死なない濃度で日本のミジンコを試験してみると、全部死んでしまった、というケースが少なくないことを筆者も研究で確かめている。つまりアメリカ産オオミジンコで安全性が確かめられても日本のミジンコは守れない、ということを意味している。これは生物多様性の概念を考えれば実に当たり前の話でもある。どんな生物種にも遺伝子の多様性があり、薬剤の効き方にも個体差や、種間差が存在する。しかもその差は薬剤の種類によっても出方が違う。つまり生物の多様性と薬の多様性の組み合せによって、薬剤の生態系に対する影響パターンは大きく変化するのである。

 そう考えると、本来の農薬の安全性評価とは、如何に複雑で難しいことであるかが分かる。やはりたった3種の試験だけでどの農薬が安全で、どの農薬が危険かとは判断がつかない。でも、そんなことを言っていたら、いつまでたっても薬剤は開発できないし、他の国に売ることも出来ない。生物多様性と経済性の対立。これが、いわば世界の農薬事情の理想と現実といったところなのである。

 じゃあ、農薬なんて使うの止めればいい。それはとても当たり前の正論である。日本人もみんなが田んぼや畑に出て、農業に専念すれば、農薬に頼る必要は、きっと大きく減るであろう。でも、今の日本人の多くは農業や林業や水産業など、第一次産業と呼ばれる職業に就くことをとても嫌がる。代わりに工業が発展し、さらに近年では金融関連産業でこの国は世界屈指の経済大国となり、みんな自分で作らなくてもお金さえ払えば、調理済みの食べ物を口にすることができるようになった。

    一方で日本人は随分と自分の食べる物の生産という面に無頓着になってしまった。自分が食べている食品がどこでどうやってつくられているのかなんて考えも及ばない。季節を問わずあらゆる野菜が売られているスーパーでは季節の旬なんて分からない。都会に住んでいたのでは土にも触らないし、ましてや田植えなんてしたこともない。農業の苦労なんて体験したこともなければ、したいとも思わない。自分のやりたくない作業を外国の農家に任せておいて、農薬と聞いただけでアレルギー反応を示す。これは文字通り、ちょっと「虫がいい」話ではないのだろうか?

プロフィール

五箇公一(ごか・こういち):国立環境研究所 主席研究員

1965年富山県生まれ。1988年京都大学農学部卒業、1990年京都大学大学院昆虫学専攻修士課程修了、1990年宇部興産株式会社農薬研究部、1996年京都大学博士号(論文博士)取得(農学)1996年国立環境研究所、現在に至る。主な著書に『クワガタムシが語る生物多様性』、『リスク学事典』(共著)、『ダニの生物学』(共著)、『外来種ハンドブック』(共著)、『生態学からみた野生生物の保護と法律』(共著)、『環境科学 人間と地球の調和をめざして』(共著)、『生態学入門』(共著)、『いきものがたり』(共著)など。専門はダニ学、生態学、集団遺伝学。

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