エコらむ

【いろんないきものの話 五箇公一】

スリランカでの経験談:生物多様性は、実は恐い?

2010年06月10日

 この中日環境netでは、この秋に名古屋で開催予定のCOP10(生物多様性条約第10回会議)に向けて、「生物多様性」の重要性を特集しており、我がwebコラムも生物の面白さを通じて、生物多様性をより身近なものとして感じて頂きたいという趣旨で連載しているところであるが、今回は、その意味で、若干、水を差すような話をしてみたいと思う。どういうことかというと、生物多様性は、人間にとって、不快で、ときには恐い存在である、というお話である。

 

 外来生物の研究を進めて5年目の冬、筆者が、感染症と環境の関係についても興味を持ち始めていたときのこと。とあるシンポジウムで、スリランカでマラリアの発生環境と社会構造について研究されている方の発表を聞いて、これこそ、自分が求めていた研究分野!是非とも現場の視察をさせて頂きたい、と思いつき、すぐにその研究者にご挨拶をして、詳しいお話を聞かせて頂くこととなった。

 その研究者の方は、女性でありながら、NPOで国際活動をしてきた経験から、熱帯諸国におけるマラリアの蔓延に心いためて、単独でアメリカの大学に留学して、この問題に取り組んで博士号を取得せんとする、大変志の高い人であった。当方が、研究に関心があって、是非ともマラリアの現場を見てみたいとお願いしたところ、速攻、ご快諾を頂き、その場で調査の日程調整が行われた。今から思えば、彼女のこのときの「テンション」の高さに、これから味会う恐怖を予感しておくべきだった。。

 12月にシンガポール経由でスリランカに入国。空港に降りた瞬間から、エキゾチックでオリエンタルな空気を感じながら、自分的には未開の地にこれから足を踏み入れることに興奮を隠しきれなかった。翌朝、研究者とスリランカ政府の担当者の方とその運転手さん(ガイド)に連れられて、早速、調査現地へ自動車で移動を開始した。。のだが、まずのっけから、その交通事情の悪さと激しさに面食らった。街を抜けるまでは、狭い道をせめぎあうチキンレースの連続。冷や汗をかきながら、ようやくその日の日暮れ時に最初の目的地に到着。そこはまさに熱帯雨林の真ん中。生物多様性の宝庫ともいうべき空間であった。

6tsukiie.jpg
スリランカのジャングルの中のコテージ(小屋)

 山深い村のコテージに通されて、長いドライブの疲れをとろうとあたりを散歩していると、すごい勢いで蚊が寄ってくる。まさかと思ってガイドの人に聞けば、これがあのマラリアを媒介する蚊だという。刺されると、病気になるかも知れないから、気をつけろ、と言われて、一瞬にして顔が凍り付いた。慌てて部屋に戻って、虫除けスプレーを頭からかぶりまくった。

 その夜、スリランカカレーを、向こうの流儀に習って右手の素手で食べて、いよいよ就寝というときに、今度は連れてきてくれた日本人研究者に忠告を受ける。「ベッドの上に蚊帳がつってあるから、その中で寝るように。ただし、蚊は網の上からでも刺してくるから、蚊帳に体がくっつかないように気をつけて寝てね」と言われて、また顔が凍った。水しか出ないシャワーを浴びた後、また頭から防虫スプレーをかぶって、そそくさと蚊帳の中に。ところが寝相の悪い筆者にとって狭い蚊帳の中でおとなしく寝ることは難しく、朝目覚めたら、つってあったはずの蚊帳を体に巻き付けて寝ている自分に気付き、暗澹たる気持ちになった。幸い、その夜は刺された形跡はなかったのだが。。

 調査を終えて次の目的地に向けて、再び車を爆走させて移動。いくつかのポイントを経ながらその日の最終目的地に近づいたとき、すでに日が暮れかかっていたのだが、運転手さんが突如アクセルを全開にして、さらにスピードをあげた。いったいどうしたのかと尋ねると、「ここいらは、夜になると野生の象が走り抜ける。早く、村に着かないと、象にはねられちまう。お前は野生の象を見たことあるか?」という。またしても顔が凍り付いた。

 そして、次の日には、道路端で横になっている牛の死体にかぶりつく1m以上のオオトカゲを間近に見た。その屈強な尻尾と爪は下手すれば人間でも襲われるのではないかと、思うほどだった。こんなばかでかいトカゲが、まるで日本の普通のトカゲのように、街近くの道でうろうろしているとは。後日、日本に留学に来ているスリランカの学生さんに聞いたら、「うん、うちの裏庭にもそのでかいトカゲはいたよ」とのことであった。。

6tsukihito.jpg
スリランカの山村で、村人たちと記念撮影。現地の人たちはみんなとても人懐っこい。

 最終日、筆者を連れてきてくれた研究者は言った。「今まで、友人も含めていろんな人に、スリランカへの同行を誘ったことがあるが、現地の話をすると皆、即、断りました。先生(筆者)だけですよ、行きたいなんて言ってくれたのは」て、貴方、ここに来る前には何も教えてくれなかったじゃない!どうりでテンションが高かった訳だ。。

 こうした経験から、筆者は思った。「生物多様性とは、実は恐いものである」確かに、生物には可愛いものや美しいものもたくさんある。しかし、生物多様性は、そういう見た目がいいものだけで構成されているのではなく、目に見えない病原体や、ダニや蚊、アブ、毒草に毒グモ、オオトカゲや大蛇などなど、人間にとってうっとうしいものや、恐いものも多数含めて構成されているものなのである。

 考えてみれば、はだかの猿として進化した人類は、その昔、この生物多様性の脅威に怯えながら生活していたに違いない。生物学的には脆弱で無力な人間にとって、野生生物は全て敵だったと言っていい。そうした、自然と野生生物に立ち向かうために、知性と理性を発達させ、文明を手に入れ、技術革新によって、自らの生活空間から、生物多様性を排除することで、人類は豊かで安全な「社会生活」を手に入れてきたのである。

 だから、生物多様性との共存、と一言で言っても、実際にそれを実行するのは、大変なことなのである。ただ、それでも、人間にとって、生物多様性はなくてはならない存在であることは確かである。どんなに文明が進歩したとしても人間が生物であることには変わりはなく、生き物がいない世界では生きてはいけないからである。

 生物が別に好きでない、という人だって、きっとたくさんいると思う。そして、それは、人間という生物の本質からみれば当然のことなのだと思う。それでも、人間が人間として生きていくためには生物が必要だということを、みんなで考えていけば、生物多様性の問題は、生物好きでない人にとっても重要な問題として受け止めてもらえるのではないだろうか?
 

プロフィール

五箇公一(ごか・こういち):国立環境研究所 主席研究員

1965年富山県生まれ。1988年京都大学農学部卒業、1990年京都大学大学院昆虫学専攻修士課程修了、1990年宇部興産株式会社農薬研究部、1996年京都大学博士号(論文博士)取得(農学)1996年国立環境研究所、現在に至る。主な著書に『クワガタムシが語る生物多様性』、『リスク学事典』(共著)、『ダニの生物学』(共著)、『外来種ハンドブック』(共著)、『生態学からみた野生生物の保護と法律』(共著)、『環境科学 人間と地球の調和をめざして』(共著)、『生態学入門』(共著)、『いきものがたり』(共著)など。専門はダニ学、生態学、集団遺伝学。

エコらむカテゴリー

2016 愛知環境賞

第75回 中日農業賞

地球のいのち、つないでいこう

中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日新聞フォトサービス 東京中日スポーツ 記事全文へ バックナンバー一覧 記事全文へ 一覧 一覧 一覧 一覧 一覧 一覧