エコらむ

【いろんないきものの話 五箇公一】

ダニと生物多様性

2010年01月08日

 いきなり生物多様性がらみで、面白いコラムを書いて下さいと頼まれて、困った。というのも、生物多様性という概念自体ややこしくて難しく、生き物好きな人間でない限り、たぶん興味が持てる「対象物」ではない。いや、結構生き物好きな人間でも、それほど興味がないかも知れない。実際に昨年総理府が国民にアンケートをとった結果、60%以上の人が「生物多様性なんて言葉、聞いたこともない」と答えている。しかし、これはこれで困る。今年は生物多様性年であり、10月には名古屋で生物多様性の国際会議まで開催される。少しでも生物多様性に対する関心を皆さんにもって頂けるよう、ここは堅苦しい話をするよりも、自分の経験に基づいて、少しでもわかりやすい話をしたほうがいいのであろうと思いついた。

 というわけで、最初の話として、自分の専門分野である「ダニ」にまつわる話を書いてみたい。実は筆者自身、現職につくまでは、農薬会社でサラリーマンとして殺虫剤の開発に従事し、生物多様性等とは無縁どころか、真逆の方向の仕事をしていた。自分が開発していたのは、農作物の葉っぱにくっついてその汁を吸うダニ=ハダニという害虫を駆除するための薬剤であった。このハダニという生物は体の大きさがわずか0.5ミリメートルしかない微小な生物なのだが、増殖力が強く、成長速度も速く、油断するとあっというまに大発生して、農作物の葉を枯らしてしまう。さらに、薬剤に対する抵抗性を獲得する能力に長けていて、どんなに新しい特効薬を作っても、すぐに効かなくなってしまう。それ故に、常に新薬が求められており、様々な会社がその新しい市場を求めて開発に勤しんでいる。筆者も、このハダニに効く薬の開発に関わったのであるが、不幸なことに、開発中はべらぼうに効いたはずの薬は、売り出すときにはもう抵抗性が発達していて、ほとんど効果がなく、売れなかったという苦い経験を味わった。

ミカンハダニ
ハダニの1種「ミカンハダニ」の拡大CG(筆者作成)

新薬の試験散布
農薬会社勤務時代に新薬の試験散布をしている筆者

ナミハダニ
ハダニの1種「ナミハダニ」の顕微鏡写真

ハダニの世界の多様性
ハダニの世界の多様性
(お互い、顔かたちは似てるが、その性質は様々。薬に対する抵抗性にもバリエーションがある。)

 しかし、この苦い経験で、ふと思ったのが、なぜここまでハダニたちは、抵抗性発達が素早いのであろうか?その秘密は何なのか?という生物学的疑問であった。そこで、日本中からハダニを集めて、遺伝子分析法を駆使して遺伝的変異、つまり遺伝子の多様性を調べてみた。すると、驚いたことに、こんなちっぽけな生き物にも、豊富な遺伝子のバリエーションが存在し、個体間や集団間で遺伝子組成(遺伝子の種類や組み合わせ)が異なっていることが判明した。恐らく、ハダニはローカルな集団を形成しながら集団間で個体をやり取りすることで、集団の遺伝的変異を維持しているのであろうということを知った。この遺伝子のバリエーションこそが進化の源であり、薬剤抵抗性という新しい適応形質の獲得を支えているのである。これこそが「遺伝子の多様性」である。害虫の薬剤抵抗性という、農業上、極めて厄介な形質も、害虫にとっては種の存続に関わる重要な適応形質であり、この重要な形質の急速な進化の背景には豊富な遺伝子の多様性があった。逆にいえば、遺伝子の多様性は、生物の集団や種が環境変化(ハダニの場合、新しい農薬の登場)を乗り切るために必要不可欠なものである、ということである。期せずして、「多様性」の真理にたどり着いた筆者は、その後、ハダニをモデル生物とした生物多様性研究を目指して会社を辞め、国立環境研究所に転職を果たしたのであった。(つづく。。)

プロフィール

五箇公一(ごか・こういち):国立環境研究所 主席研究員

1965年富山県生まれ。1988年京都大学農学部卒業、1990年京都大学大学院昆虫学専攻修士課程修了、1990年宇部興産株式会社農薬研究部、1996年京都大学博士号(論文博士)取得(農学)1996年国立環境研究所、現在に至る。主な著書に『クワガタムシが語る生物多様性』、『リスク学事典』(共著)、『ダニの生物学』(共著)、『外来種ハンドブック』(共著)、『生態学からみた野生生物の保護と法律』(共著)、『環境科学 人間と地球の調和をめざして』(共著)、『生態学入門』(共著)、『いきものがたり』(共著)など。専門はダニ学、生態学、集団遺伝学。

エコらむカテゴリー

2016 愛知環境賞

第75回 中日農業賞

地球のいのち、つないでいこう

中日スポーツ 東京中日スポーツ 中日新聞フォトサービス 東京中日スポーツ 記事全文へ バックナンバー一覧 記事全文へ 一覧 一覧 一覧 一覧 一覧 一覧