エコらむ

【クリチバの奇跡に学ぶ 中村ひとし】

ひとを主人公にした「花通り」の誕生

2009年04月10日

キンゼ・デ・ノヴェンブロ通りの昔

 ブラジルのクリチバ市は、1970年代からひとを主人公とする革新的なまちづくりを続けてきたことで世界中から注目されています。生物多様性条約第8回締約国会議(COP8)の開催地でもあるこのまちでは、生物多様性への配慮も随所にみられます。戦後、日本からブラジルに移住し、このまちづくりの立役者の一人となった元クリチバ市環境局長の中村ひとしさんに、自らの体験を基に、「クリチバの奇跡」をシリーズで振り返っていただきます。

 

キンゼ・デ・ノヴェンブロ通りの今

 都市の主人公は「ひと」である。故にひとを大切にするまちづくりをしなければならない−。

こんな強い信念を持って1971年、都市計画家で建築家でもあるジャイメ・レルネル(Jaime Lerner)氏は、33歳の若さでブラジル・パラナ州の州都であるクリチバ市の市長になりました。そして翌72年、当時クリチバ市では最も賑やかで交通量の多かった繁華街、キンゼ・デ・ノヴェンブロ通りから完全に車をシャットアウト、平日でも車の入ることのできないまったくの歩行者天国にしました。これは市民に実際に車のない中心街を体験してもらい、本当に「ひと」を大切にするまちづくりに目覚めてもらうことが目的でした。
【写真】キンゼ・デ・ノヴェンブロ通りの昔(上の写真)と今(下の写真)

 そのころのクリチバ市の人口は約60万人。交通渋滞、公共交通の不整備、緑地や公園の不足等々、世界中のどこにでもある問題を多く抱えた一地方都市にすぎませんでした。それが見事に世界的な人間都市に生まれ変わったのです。

 一方、世界の都市計画家たちの羨望(せんぼう)の的となった首都ブラジリアは、都市機能を主眼において設計・建設されました。車による移動をすべての基本に、21世紀へ向けての新しい都市モデルとして出現し、注目を集めました。しかし、実際にはヒューマンスケールがほとんどなくなってしまったのです。

 ほぼ同時期にできあがった2つの都市、クリチバとブラジリア。40年近く経った今、クリチバは世界中から人間都市、環境都市として注目を浴びるようになり、一方のブラジリアは都市機能が止まってしまうほどの大渋滞がありながら、自動車なしでは生活できない都市として苦悩し、地球温暖化対策にもまったく相反する都市となってしまっています。

 今ではキンゼ・デ・ノヴェンブロ通りは「花通り」と呼ばれ、人間都市クリチバのシンボルであり、市民の誇りにまでなっています。しかし当初これを実現するには大変な苦労がありました。特にこの通りの商店主たちは、全員が車の締め出しには大反対でした。 彼らは「この通りで商売が成り立っているのはお客さんが車で来てくれるからであり、もし車が入れなくなればお客さんが来なくなり商売ができなくなってつぶれてしまう」 という意見でした。しかし、「ひと」を大切にするまちづくりに強い信念を持っていたジャイメ・レルネル市長は自らの政治生命をかけ、通りの3区間(約400メートル)の車道を歩行者専用道にかえてしまったのです。

 かつて車道であったところには花あり、緑あり、ベンチあり。喫茶店に花売り店、雑誌店等々が適度に配置され、「ひと」と「ひと」との出会いの場をつくり、「ひと」のための空間を取り戻したのです。これが「花通り」の始まりでした。

 この工事は実際には大型連休の期間を利用して実行され、クリチバ市役所の全部署が協力し合い、たった72時間で完成させてしまったのです。連休明けに休暇から戻って来た商店主たちはこれを見て怒って裁判所に訴え、次の週末には全員でこの花通りに車を乗り入れ、もとの車道に戻そうと計画しました。しかし、いざ実行という土曜日の朝、大型トラックやジープに乗り現場に駆けつけた商店主たちはある光景を目の当たりにし、この計画を断念せざるを得なくなったのです。それは400人もの子どもたちが通りいっぱいに広がって、親たちと楽しそうに絵を描いていたからです。

 やがて通りには人々が集まりだし、反対していた商店主たちの店の売上げも上がってきたのです。その2カ月後にはこの通りにつながる別の区画の商店主たちが市長に面会を求め、自分たちの通りも歩行者専用道にするよう陳情をしたのです。このようにして通りは次々と延長され、集客人口が増えていったのです。ちなみにこの「土曜日のお絵描き会」は、その記念としていまでも続いています。

 ジャイメ・レルネル氏はこんなふうに言っています。「車は例えれば姑(しゅうとめ)と同じで、いつも良い関係を保っていなければならない。しかし、その姑に家庭を乗っ取られてはいけない」

プロフィール

中村矗(なかむら・ひとし) : ブラジル・クリチバ市 元環境局長

1970年農業移住者として、両親の反対を押し切って、ブラジルへ渡る。その後、クリチバ市長だったジャイメ・レルネル氏に認められ、1989年にクリチバ市環境局長に、1995年には、パラナ州環境局長に抜擢され、その間、ジャイメ氏と人間都市クリチバの都市づくりに参加、様々なプロジェクトを発表し、クリチバ市を環境都市として世界的に有名にする。

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