アラスカに暮らす

列車帰省の思い出 〜アラスカに暮らす(79)〜

2012年10月08日

アラスカに暮らす(79)

 ここ数年来、夏季のガイドの仕事が一段落した秋に帰国するのが通例となっている。

 その際、有志の方々の助けをお借りし、スライド&トークライブという小規模な講演会のようなものも、全国10カ所程度で毎年開催している。今年は長野や京都、新潟、岐阜県多治見市をはじめ、東京都内数カ所を巡る。ちょっとした列車の旅である。

 アラスカでは道路網が限られているので、州内でも飛行機を利用するのはごく普通のことだ。岐阜県に住んでいた小学校に上がるか上がらないかの幼い時分、お盆や正月は名古屋駅発の急行列車「赤倉」に一日中揺られ、両親の実家がある新潟まで行ったものだった。

 昭和40年代から50年代は、帰省の足といえば鉄道だった。おやじは指定席を取るのに苦労したようで、家族全員の席が確保できなかったり、全く取れなかったりした。そんな時、客車の床に敷いた新聞紙の上に座したり、寝転んだりした。トイレの前やデッキも荷物を抱えた人でいっぱいだった。頭上の網棚では、お土産や思い出を詰め込んで膨らんだ風呂敷包みや大小のかばんが、互いに押し合いへし合い揺れていた。

 そんな中で、ボックス席の背と背が向かい合う隙間は、ちょっとしたプライベート空間になっていて、そこが確保できると、かなりぜいたくな気分に浸れた記憶がある。あのころ、おやじは家族5人分の荷物に加え、荒縄で縛った木樽(だる)を持ち、しょうゆで満たされたその樽を抱えて帰ったものだ。

 帰省は、幼子3人を抱えた両親にとっては一大イベントだったろう。将来自分が外国に住み、旅客機で当たり前のように日本との間を行き来することなど、かけらも想像できなかった幼い時分の思い出である。

アラスカ州内の町と村を結ぶ小型旅客機。タクシーのように気軽な交通機関だ=米国アラスカ州カクトビックでアラスカ州内の町と村を結ぶ小型旅客機。タクシーのように気軽な交通機関だ=米国アラスカ州カクトビックで

プロフィール

河内牧栄(かわうち・まきえい):ネーチャーガイド兼写真家

1966年、岐阜県各務原市生まれ。日本大芸術学部卒業後、大手出版社に勤務。退社後、30代で一人旅をしたアラスカの大自然に魅せられ、2003年に移住した。ネーチャーガイド兼写真家。アラスカ州フェアバンクスに妻(48)と長男(7)の3人暮らし。

ホームページ:「ネイチャーイメージ」

※「アラスカに暮らす」は中日新聞朝刊に毎週月曜日に連載されています。

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