アラスカに暮らす

日本語話す老人と 〜アラスカに暮らす(73)〜

2012年08月20日

アラスカに暮らす(73)

 エイダック島に着いた翌朝、島は小雨交じりの霧に包まれていた。午後、島の庁舎を訪ねる機会を得た。

 快く面会を受けてくれたのはマネジャーのレイトン氏。ジーンズにパーカーといういでたちだが、れっきとした公務員だ。

 「実にたくさんの家があるというのに、人の気配が少ないですね」。あいさつを交わし、単刀直入に尋ねた。「実は冷戦時代、7000人も駐留したといわれる軍人たちの住宅だったからです。今、この島で暮らすのは100人程度でしょう」

 なるほど、そういうわけだったのか。彼が庁舎を案内してくれるという。その時、クレムという老人が話しかけてきた。「コンニチハ。ムカシ、トウキョウのアメリカタイシカンにいました」。なかなか流ちょうな日本語だ。日本語をどうやって覚えたのかと聞くと、こう答えてくれた。「第二次大戦中、軍の任務で日本語を勉強しました。サイパンのことはご存じですね。あの島では命を絶とうとする婦女子の皆さんに、思いとどまるよう説得する任務にも就いていました」

 知識としての歴史上の出来事が、太い輪郭を持って目の前に浮かび上がってくる気がした。凄惨(せいさん)を極めたその現場を目の当たりにし、1人でも多くの日本人を救おうとした男が、目の前に立っていた。「日本は美しい国ですね。京都へも行きました。築地も好きなところです。マスノスケ。あれは、キングサーモンのことでしたか」。老人の声に耳を傾けながら、大戦中に日本軍が、アリューシャン列島のアッツとキスカの2島を占領した時期があったことを思い出していた。

 庁舎を出た。霧は晴れていたが、今にも雨が降りだしそうな空模様だ。歩いて島でただ一軒のバーへと向かった。

島の庁舎で出会ったクレムと空港で再会。息子、娘と3人で島を訪れていた=米国アラスカ州アリューシャン列島、エイダック島の空港で島の庁舎で出会ったクレムと空港で再会。息子、娘と3人で島を訪れていた=米国アラスカ州アリューシャン列島、エイダック島の空港で

プロフィール

河内牧栄(かわうち・まきえい):ネーチャーガイド兼写真家

1966年、岐阜県各務原市生まれ。日本大芸術学部卒業後、大手出版社に勤務。退社後、30代で一人旅をしたアラスカの大自然に魅せられ、2003年に移住した。ネーチャーガイド兼写真家。アラスカ州フェアバンクスに妻(48)と長男(7)の3人暮らし。

ホームページ:「ネイチャーイメージ」

※「アラスカに暮らす」は中日新聞朝刊に毎週月曜日に連載されています。

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