アラスカに暮らす

春のクジラ猟(中) 〜アラスカに暮らす(14)〜

2011年04月11日

アラスカに暮らす(14)

■人力で10トンを引き揚げ

 「イエー、イエー、イエー、やったぞ!」「おめでとう!」。慌ただしく飛び交う無線の声で起こされると、「60秒で用意しなさい!」と友人にせき立てられた。

 寝袋から飛び出して防寒着に身を包み、外で待ち構えていた友人のスノーモービルの後ろにまたがった。ほおに冷気が刺さり、一気に目が覚める。ベースキャンプには既に数十人が集まっていた。

 「こいつは体長15メートル、10トンはあるな」。そう話してくれたのは気さくな青年、ソルマンだ。クジラはロープを使って、なんと人力で引き揚げるという。ロープの端はクジラの尾びれに結び、そこから50メートルほど延びたロープの反対側を、氷に開けたV字の穴に通す。ロープの途中には滑車も付いている。てこの原理で引き揚げるようだ。

 突然の事故が起きたのは、V字の穴を開けている最中だった。エンジン駆動のドリルで穴開け作業を手伝っていたソルマンの手が、ドリルに巻き込まれてしまったのだ。青ざめた顔で手首を押さえ、テントに走るソルマン。直後、テントの中の女たちが上げた悲鳴で鼓膜が激しくたたかれた。現場の空気が一瞬で凍りつく。

 なんという運命だろう、ハンターとして必要な肉体をハンティングの現場が奪っていく。どこまでも青い空よ、クジラの命と引き換えに生けにえをささげよとでもいうのか。えたいの知れない恐怖と緊張の矢に胸が射抜かれたようで、震えが止まらなかった。

 高度に文明化された現代においてなお、命がけで糧を得る人々がいる。有史以来、途切れることなく営まれる彼らの暮らしを思った。無線で要請された救助ヘリにソルマンが運ばれていく。その姿を誰もが不安な面持ちで見送った。

 作業が再開されるころ、氷上には老若男女、100人を超える人が集まっていた。「みんな! 手を貸してくれ!」。綱に群がる人々がまるで長い大きな生き物と化し、巨大なクジラと綱引きをしているかのような光景に、胸が高鳴った。びくともしなかったクジラが氷上に姿を現したのは、それから間もなくのことであった。

ロープでつながれ、引き揚げられようとしている北極クジラ=米国アラスカ州バロー近海の氷上で(河内真樹子撮影)ロープでつながれ、引き揚げられようとしている北極クジラ=米国アラスカ州バロー近海の氷上で(河内真樹子撮影)

プロフィール

河内牧栄(かわうち・まきえい):ネーチャーガイド兼写真家

1966年、岐阜県各務原市生まれ。日本大芸術学部卒業後、大手出版社に勤務。退社後、30代で一人旅をしたアラスカの大自然に魅せられ、2003年に移住した。ネーチャーガイド兼写真家。アラスカ州フェアバンクスに妻(48)と長男(7)の3人暮らし。

ホームページ:「ネイチャーイメージ」

※「アラスカに暮らす」は中日新聞朝刊に毎週月曜日に連載されています。

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